8/8に発生しましたハワイ マウイ島西部における火災について、昨日当社では以下「ハワイ政府観光局」を通じ救援金を送りました。
<マウイ島西部 山火事救援金>
https://www.allhawaii.jp/htjnews/5748/?fbclid=IwAR2FJWBwi4-J4GfQgeM1qfIeUwVQ_U8GqCD7pTzbyS94WzNYHoykPbZ2M40
救援金を送る背景には当社の歴史において同地域との深い関わりがあるからです。
以下、会社HPの沿革にも記されていますが、1988年当社はハワイアナリゾートという当時のホテルチェーンの日本総代理店となり旅行会社でありながら日本での窓口機能を持ち、日本人を送客していました。
<会社沿革>
https://www.wtsnet.co.jp/office/history.html
私が入社した1994年(平成6年)はこのホテルを利用したパッケージツアーを販売しており、中でも「レンタカー付きマウイ島」への送客に力を入れており、欧米人では当たり前だった新しい旅のスタイルを日本人にも提案していた時代だったと記憶しています。
マウイ島は南部の海岸線が東西に広がり、火災の起きたラハイナ地区は島の西部に位置し、観光客が数多く宿泊するたくさんのホテルが立ち並ぶカアナパリ地区から数キロ離れた所にあります。
そんな場所柄もあり、マウイ島に行く大半の観光客はこのラハイナを訪れ食事をしたり、お土産を買ったり、船に乗ったりしてリゾートとして必ずと言っていいくらい人が目指す場所です。その昔ラハイナは捕鯨の街として栄えていましたので、今でもその名残として残るホエールウオッチングは有名です。
毎年2月~3月にザトウクジラが群れをなして来島するので、これを船に乗って見に行くツアーで島では一番の人気オプショナルツアーです。
私が入社してからもこのマウイ島への旅のスタイルは継続し、更に新しいツアーへと進化させてきました。
その過程で、当社のお客様向けに新たなホテルの提案や、現地のお取引とのリレーション強化としてラハイナにある会社と提携し、その後は現地法人化としてオフィスを持つようになりました。
これにより、私の出張もこのライハイナを起点とするようになり、日本から飛行機に乗ってもホノルル空港では降りずに現地の国内線に乗り換えてまずラハイナを目指しました。主な目的は、ホテルの仕入れや、新たな観光情報の入手です。
また、ハワイウエディングを強化していた頃は、マウイ島での挙式ツアーも数多くこのラハイナでも2つの教会で行っておりとても評判の良いものでした。
こんな風に当社の歴史と今回のラハイナは深く関わりのある場所で、信じられない思いでニュースを見ておりましたが上空からの映像を見る限り全焼に近い状態でほとんどが残っていないようでした。もともとラハイナはハワイでも暑い所で、乾燥気味に感じる場所であったと思いますが、山から海方向に向けての吹きおろしが強い日もあり、午後には雲がどんどん降りて来るのを記憶しています。これらの要素が重なり、ラハイナの街も山で着いた火が海へと降りる風に乗り巻き込まれてしまったのでしょう。
正直な所、私は直接的な関わりのない施設や人に援助をする寄付行為はあまりしません。
しかし、今回は私が入社してこの会社を経営するようになって約30年、「切っても切り離せない歴史の中にある街」が焼失するという悲痛な出来事です。
当社も今年50周年を迎える事ができましたが、マウイ島、ラハイナ、いづれも無かったら会社も無かったかもしれません。
オアフ島、ホノルル、ワイキキツアーの販売が主流の中、その激戦区から差別化を図りハワイを売って会社をつないできた。私にとってはそんな島で、この島に長年食べさせてもらって来たのです。
それにしては、少なすぎる救援金かもしれませんが、会社はまだ今期が始まったばかりで業績の見通しも立たない中です。
今日、当社は業務内容も大きく変わり、観光や旅行とは何の縁もない会社になりましたが、それも歴史あっての事です。
救援金もここで終わらないかもしれないですし、役に立つことがあるなら現地に出向き、手伝えることがあるなら支援に乗り出したいと考えています。
本件においては、私の勝手な判断で行っておりますが、当社社員及び関係者のご理解賜りたいと存じます。
ワールドコーポレーション株式会社
代表取締役 原田 輝将